さわ目線

毎日をごきげんに過ごしたいだけ

2019/04/27 西成、あいりん地区にて

ここ数日前からの暖かい陽気とは裏腹にその日は風が強く肌寒い晴れた日だった。

 

午前中に軽めの用事を済ませ、昼からはあいりん地区へ。

 

色々な言葉で表現されるこの街だが大阪で生まれ育った私としては

(こちらから余計なことをせねばそこまでひどく怖れる場所でもないだろう)

というイメージの地域。

 

萩ノ茶屋駅を超え、西成警察署の程近くにある

末盛湯へ。

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サウナも水風呂も無い。

あるのは湯船とジェットバスが2、3基に小さな電気風呂。

昼過ぎではあったが10人程がすでに疲れを癒していた。

ここに来る度に思うことはどんなに爺さんであっても身体つきが他の地域の銭湯とは全く違う。

土木関係の仕事の賜物か誰も皆、筋肉質である。

余りジロジロ見ると勘違いされそうなのでチャッチャと末盛湯を後にする。

 

このまま阪堺線の高架をくぐり新今宮へ向かおうと思った矢先、急に雨が降ってきた。

 

傘も持ち合わせおらず、慌てて店の軒先へ。

すると、キャリーカートに衣類などの荷物を詰め込んだ70半ばそこそこの爺さんが先客で雨宿りしていた。

 

「急に降ってきましたね。」

というと、

「こりゃ通り雨やろ。すぐに止むと思うで。」

と空を見つめ爺さんは言い、

「一日中ここにいるが今日は寒いな。」と続けた。

 

それをきっかけに雨が止むまで他愛もない話をした。

爺さんは50年ほど前、九州から大阪に出てきたこと。

奥さんを亡くしてからあいりん地区で野宿していること。

目や腰を悪くしてずっと続けてた土木関係ができなくなったこと。

それからは空き缶を拾って生計を立てているということ。

今の空き缶の相場。

 

辛いことも多いが暗い様子もなく、今迄の過去を愛しげに話してくれた。

 

生活保護を受けるのもいいけど、わしはその日その日が食べれたらそれでええから。」と言った浅黒くシワが刻まれた時のその顔は前向きな表情に見えた。

 

15分程すると爺さんの予言(?)通りの通り雨はすっかり止んで、空は晴天だった。

 

「じゃあ、またどこかで」とこれ以上ない社交辞令を言う爺さんの顔はその社交辞令が真実味を帯びるぐらいに晴れやかな物だった。

私もそれに応える様、「じゃあ、また」と返し、歩き出す。